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ゾルゲ事件

 投稿者:けいこ  投稿日:2014年 1月17日(金)15時13分40秒
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   今年は、ゾルゲと尾崎秀実が死刑に処せられてからちょうど70周年目の年にあたります。

 近々、加藤哲郎著「ゾルゲ事件-「始まり」の神話と真実」(平凡社新書)が刊行予定ですが、刊行の前にさる方経由でわたしのもとに加藤哲郎氏によるゲラが届きました。とても興味深く、「ゾルゲ事件」とは何であったのか、わたし達はこの事件をどう捉え何を学ぶべきなのかを考えさせられました。わたしなりにまとめたものを投稿させていただきます。

 「ゾルゲ事件」とは1941年10月に首班のゾルゲや尾崎秀実らが摘発検挙された「スパイ事件」であるが、1942年5月16日「国際諜報団事件」として司法省発表当時はそんなに大きな事件としての扱いではなかった。戦後1949年2月にワシントンでの米国陸軍省発表、いわゆるウイロビー報告が日本でも世界でも「ゾルゲ事件」が「国際スパイ事件」として認知される一大転機となった。戦後、スパイものとして幾つもの物語が語られてきたが、その基となっているのは日本の特高警察と占領期米軍のウイロビー報告である。

 リヒャルト・ゾルゲは当時日本と同盟国であったナチス・ドイツの駐日大使オットの有力な助言者であり、尾崎が近衛のブレーンであったことから、事件の内偵・捜査・検挙・尋問・起訴・法廷審理は慎重に行われた。ゾルゲや尾崎が収集した情報はスパイ活動というより、当時既に公開されていたものや取材活動にもとづくもので、むしろ優れたアナリストとしての側面が大きかった。しかし、事件は「治安維持法」「国防保安法」「軍機保護法」「軍用資源保護法」に違反したとされ、二人は1944年11月7日、ロシア革命記念日に死刑に処せられた。

 ゾルゲは1929年ソ連赤軍情報(第4部・GRU)に所属し中国に派遣され、「上海諜報団」を組織、1933年秋に日本に入国、上海で知り合った尾崎らと「ラムゼイ機関=東京ゾルゲ諜報団」を組織。上海でゾルゲと尾崎を結び付けたのは研究から鬼頭銀二と言われている。当時のスターリンはゾルゲをドイツの二重スパイと疑っていて、ゾルゲが流す正確な情報を信じてはいなかった。従って、事件発覚後もスターリン(ソ連)はゾルゲの存在を認めず、ゾルゲが初めて公式に認められソ連英雄勲章が授与された(名誉回復)は1964年7月のことだった。

 ゾルゲと尾崎を結びつけた鬼頭銀一は、三重県出身で渡米しアメリカ共産党に入党。日本帰国後は神戸にゴムを販売する「鬼頭商会」を設立。その後パラオに渡り商売をしていたが、客を装った人物からゆであづきの缶詰を渡され、食べた後に悶死している。1938年のことであった。享年34歳。この年はスターリンによる大粛清の嵐が吹き荒れた年で、彼の死がそれによるものか、日本の官憲によるものか未だに謎とされている。

 鬼頭銀一はアメリカ共産党の日本人部の活動家であったが、宮城與徳の前任者であったとも言われている。宮城與徳を日本に潜入させた「ロイ」は一説には野坂参三とも言われていたが、渡部富哉や加藤哲郎らの研究によれば木元伝一とされている。

 さて、このアメリカ共産党の日本人部であるが、表の顔(いわいる労働運動など)とともに裏の顔(1935年日本共産党壊滅以降のコミンテルンの対アジア工作、対日工作の中心部隊となる)顔があった。日本人部で活動した人物には鬼頭の他、野坂やジョー小出(本名・鵜飼宣道・憲法学者鵜飼信成の実兄)などがいた。従って、野坂はソ連の内通者として日本共産党から除名されたが、本当は彼にもっと多く証言をしてもらいたかった。

 このように見てくると、「ゾルゲ事件」とは単なるスパイ事件ではなく、世界政治における情報戦としての相貌から読み解く必要があり、従って、この側面から言えば、ゾルゲ事件は失敗だった(加藤哲郎)のである。というのは、「コミンテルン」の情報網はこれだけではなく、アイノ・クーシネン(コミンテルンの幹部・オットー・クーシネンの妻)でフインランド人女性ながら親日スエーデン貴族として日本の上流階級に食い込み、秩父宮とも幾度か交流して園遊会にも招かれたが彼女の行動は今も謎が多く、発覚していない。しかし、彼女はソ連帰国後スターリンにより強制収容所に送られている。ゾルゲも帰国命令が出ていたが帰国しなかった。多分帰国していたら粛清されていただろう。この他にウルズラ・クチンスキー(ハンブルガー夫人)はイギリスに渡り、クラウス・フックスを協力者にして、後の英米原爆製造マンハッタン計画情報、プルトニューム原爆設計図がソ連に流れるきっかけ作ったが、戦後東ドイツに逃れている。

 世界政治の情報戦は「コミンテルン」のみではなく、アメリカのCIA、イギリスのMI6、イスラエルのモサドなど、その良し悪しは別として現実に存在しているのである。

 さて、先にも書いた鬼頭銀一は、義弟の伊達鎮二が日本共産党三重県委員会の文化部長であり津市長選挙にも出馬したことがあり、鬼頭銀一は遺族の嘆願により「無名戦士の墓」に合葬されている。

 このような歴史を持つ日本共産党は、現在の党には無関係と主張するだけではなく、日本及び世界の現代史の中で果たした役割については真摯に検証を試みるべきだと思う。

 最期に加藤哲郎氏は、言論・思想の自由と情報公開の必要性、公文書の作成、保管と資料の収集、保全の重要性を述べている。

 こういった点からも、先の「特定秘密保護法」強行採決は認められません。ゾルゲと尾崎は自分達の活動には何らの報酬も望んではいませんでした。世界大戦に反対する意図からなした活動です。死刑に処せられる必要があったのか?歴史の中に埋もれていった大勢の善意の方達を想うと胸が痛みます。

 
 
 
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