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紀州笠松氏と佐久間氏の関係

 投稿者:笠松憲一メール  投稿日:2011年 6月29日(水)01時22分16秒
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  紀州笠松氏と佐久間氏の関係に関する記述が「津々堂のたわごと日録」というブログ中にあったので一部を抜粋して記述します。

佐久間氏関係論考-3
「金沢城主・佐久間盛政その名跡に関する一考察」 吉原 実 著
より一部抜粋

実はもう一家、盛政の名跡を継いだと伝わる家がある。紀州・有田の豪族、保田氏の系統である。盛政の弟安政が紀州と河内の守護、畠山昭高の家臣であった保田佐助知宗の婿養子となり、保田安政と名乗っていたのは『信長公記』や『佐久間軍記』などにも書かれており真実と思われる。安政の義父・知宗は、天正四年五月の石山合戦・三津寺城攻めの折に討ち死にしてしまうが、その知宗が盛政の養子になったと書かれている系図がある(笠松系図)。安政が知宗の養子となった事と混同されていると思われるが、知宗には弟重宗がおり、この人も賤ヶ岳で討ち死にしたとなっている。しかし、その後、重郷、重之、重吉と続き大庄屋として明治維新まで来ている。保田氏より分かれ、笠松氏を名乗っている。

佐久間氏に関して体系的に書かれているので佐久間氏関係論考-1,2と併せて読まれると良いと思います。その他にも佐久間氏に関する記述が多数あります。紀州の笠松氏は佐久間氏と縁があったんですね。

江戸時代伊達藩の笠松氏についてですがインターネット上の「埼玉苗字辞典」というサイトで笠松氏に関する以下の記述がありました。
笠松 カサマツ 高麗郡青木村字カサ松、比企郡大谷村字笠松あり。各市町村に存す。新潟県上越市三十四戸、見附市十五戸、宮城県柴田郡柴田町四十八戸、遠田郡涌谷町八戸、角田市四十戸あり。
上記の記述と涌谷伊達家と縁がある「笠松正左衛門」という人物が江戸時代初期にいたので宮城県柴田郡柴田町(下名生:しものみょう)(わかりやすく書くと仙台空港の近く)、遠田郡涌谷町に江戸時代初期には居住していたのではないかと考えています。
 
 
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