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朝比奈三郎義秀の墓

 投稿者:笠松憲一メール  投稿日:2008年12月17日(水)12時03分2秒
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  長野原町のHPで文化財の項目に朝比奈三郎義秀に関わる以下の記述がありました。
ここでは北条九代記の記述から朝比奈三郎義秀の母を巴御前としてあります。
以下文を長野原町のHPより引用しました。
朝比奈三郎義秀の墓
所在地:応桑
種類:町指定史跡
指定年月日:昭和49年9月21日
応桑の狩宿に朝比奈三郎義秀の墓といわれる場所があります。面積約9.9㎡ほどの墓地内にすでに風化して破損している高さ1mほどの三重の塔がそれ。
北条九代記によれば、朝比奈三郎義秀は、鎌倉の元老和田義盛の第三子で、生母は木曾義仲の側室巴御前である。木曾義仲が戦死後和田義盛の側室となって後に生まれてきたと言い伝えられている。義秀は大力武勇の猛者で、健保二年和田合戦に勇名を轟かせ幾人かの敵をたおしたが微傷すら負わなかったという。しかし、父和田義盛其の外兄弟郎従等悉(ことごと)く討たれたので、巳むなく安房国へ遁(のが)れて、行方を隠したことは明かであるが、或いはそれから更に遁れて、当時木曾の残党の潜入したという西吾妻へ移ってきてこの地で終わったものではあるまいか(吾妻郡誌)(義秀の出生等については長野原町誌をそのまま書かせていただいております。)
 
 
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