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ほんまにそうでっせ

 投稿者:夢之介  投稿日:2003年 7月18日(金)13時38分33秒
  加害者に被害者、ともに低年齢化している中ほんまにひとごとやおまへん。
結局宗教心の極端に欠落した親や教師が教育しとるのが大きな問題と思うのです。
更に性風俗の乱れにしても、昔あった「ちょっとエッチな・・・」がそんなことだけ
にうるさいオバハンらによって影を潜めてしまって、そのくせ巷には更にエゲツナイ
下品で変態的性風俗が蔓延するようになった。
結局何にもなってまへん。
何かこう腹の立つことだらけです。まあせめてもの救いは半身タイガースのいや阪神
タイガースの独走くらいですなあ。
隠居生活とはまたどのような生活です?ちょっとうらやましいですなあ。





http://www005.upp.so-net.ne.jp/yumenosuke/

 


こちらこそご無沙汰で

 投稿者:quwa  投稿日:2003年 7月17日(木)23時44分17秒
  いつもであればすぐ気が付くのですが。。。会議を7時間ぶっ通しでようやく帰宅です。
しかし夢之介さんに中一の娘さんが居るとは驚きました。他人事ではなさそうですね。中年は何かと寂しい気持ちになりやすいので、背中がさぶい嘆くよりはオヤジギャグで周囲をさぶくするのが好いようで。最近はモノラルのスピーカーを買い込んで昔の演芸など堪能しようと目論んで二十年早く隠居生活の見習いちゅうです。ではでは。
 

ご無沙汰しています

 投稿者:夢之介  投稿日:2003年 7月17日(木)15時54分13秒
  職場の自分の机のPSからインターネットできるようになったんで、ちょっと
さぼってquwaさんのHPを読ませてもらってます。
これからはもうちょっと頻繁に顔をだします。
とりあえずはご無沙汰のご挨拶まで

http://www005.upp.so-net.ne.jp/yumenosuke/

 
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キリストを着るということ

 投稿者:quwa  投稿日:2003年 5月16日(金)09時23分15秒
  成果主義も現代では企業や国の顔で勤めるものであり、パーソナルな個性はかえって無名のままに陥ってしまいがちですね。パイオニア精神は後退しノルマの対象なのが痛いところです。

キリストにあって生きる無名の人々は、道ばたで物乞いをしていた人々であり、弟子の名に値しない婦人たち、そして人数に数えられない子供たちでした。そして罪人と呼ばれる人々と食事をしたのです。このような人々はキリストにあって隣人として考えられていますが、聖書におけるディアコニー(交わり)の問題のなかでは、これまで憐れみの対象ではあっても中心にはならないということがあったかと思います。日本ではあまり理解できない貧しさの現実を受け止めて、交わりが回復できればと祈っています。
 

無名の教会人

 投稿者:団栗七衛門@アフリカ  投稿日:2003年 5月11日(日)12時27分25秒
  まとめることが精一杯といったところでしょうか。
たしかにここはD国アリサビエというイスラム教徒ばかりの辺鄙な町。こんなところにもフランスのカトリック教会からおくられてくるボランティアの人達が存在する。日々祈りながらの彼らの働きを見ていて、quwaさまの仰るとおりだと思わされます。これからも教会の無名性の働きが続いていってほしいものであります。
同じく小生もキリスト教徒としてというアイデンティティを背負ってここアリサビエに存在するのでありますが、小生は(残念ながら?)日本のプロテスタント教会からでなく、日本国から送り出され活動しており「日本」を背負わされております。旅券(パスポート)もあまり役にも立たず責任ばかり大きくなる公用旅券。実際、「シノア?」と呼ばれることが多いため、その度「ジャポネだ!」と毎日のように答えているため、キリスト教徒であることよりも日本人であることの表明の回数の方がはるかに勝っております。

小生の所属する「協力隊」という制度、あまりよろしくないと感じることも多々。しかし、これの一番良いところは「成果」や「実績」を求められないということ。求められるのは、2年間で5つの報告書のみ。活動においても自分の信じるところにしたがって出来る。使えるお金も僅かで丸腰で活動できることも利点だと思っております。ただ、これからの時代、実際に現地のことを考慮に入れないまま安易な成果や実績を問われることにもなっていきそうで心配をしております。他の殆んどの援助と同じ押し付け援助をして情況をますます悪くすることが増えていきそうな気が致します。
そうなればますます無名の教会人の働きに世界はかかってくるのでありましょう。

http://www.d2.dion.ne.jp/~donguri7/

 

人の子としての民衆

 投稿者:quwa  投稿日:2003年 5月 6日(火)12時21分15秒
  なんか団栗さんに自分の意見をまとめてもらっているようですまないです。民衆はある意味で雑草のような無名性をもっていて、実は教会はこの無名の人々の上に建っていることに気付かされています。それはキリスト讃歌にあるような「己をむなしうして」ということにも繋がるかと思います。教会史は歴史上の指導者に連なっているのではなく、むしろ数多に住まう羊の群れが福音によって起こされる事実に根ざしているとも言えます。預言と律法はキリストによって具体的な教会として地上に存在しているわけです。

ところで教会の枠の広がりは、単純にメンタルな問題だけではないことを、教会は様々な方法で告白してきました。エキュメニカルのecuは、エコノミーやエコロジーのecoでもあるのです。その意味で教会の舞台は地球的であり、宇宙的でさえあります。現地にフランスの修道会が居るとのことなので、どうしてそこにいるのか?ということからでも単純に対話してみたらいかがでしょうか。多分、伝道という枠組みを広くとらえ、政治的にうつろう民衆の生き様について見つめている事柄があると思います。それは経済大国が政治的に行う援助とは質も量も違うものだと思うのです。

ここ10年間に内戦でゆれたコンゴでもフランスの宣教師たちは最後まで留まっていました。コンゴにはカトリック教会がありますが、いずれも現地に司教もいる自立した教会であるにも関わらず、彼らは退去しなかったのです。これは単純に植民地政策の名残であるとか、派遣されて伝道に来たというだけの問題ではないと思います。こうした伝統をアフリカにおいて持っているフランスの修道会の静かな歩みにも、耳を傾けてみると好いかと思います。
 

民衆

 投稿者:団栗七衛門@アフリカ  投稿日:2003年 5月 6日(火)07時14分26秒
  なるほど、ありがとうございます。
損得を超えたところの、国家としての良心のありかたということでありましょうか。近頃、国家という枠組みは今後どのようになっていくのだろうかと考えさせられております。より強まっていくのか、それともコスモロジカル?に融解していくのだろうか。quwaさまの視点はいつも為政者の側になく、民衆と共にあるように思うのでありますが、これからの時代、市井の民たちは何を見、何を目指していけばよいのでありましょうか。時代はどうあれ為政者がどうあれ、無名性の中に生き、願わくば良心と輝くことを目指して生きていけばよいのでしょうか。
 

対立構造としての世界観

 投稿者:quwa  投稿日:2003年 5月 4日(日)07時57分37秒
  冷戦が共産圏の内部崩壊によってあっけなく終わった後は、それまで善と思われてきた自由経済陣営の歴史も清算するのが本来の務めでした。しかし実際にはグローバル経済の枠組みが再編されるにあたって、国家の命運を決めるのは文化や政治ではなく経済や企業であるという間違った認識が横行しているように思います。世界各地での森林開発や鉱物資源を巡る争いなど後を絶ちません。モンゴルでは草原の手入れを組織だってしなくなったため冷害が深刻化してますし、インドのウラン資源のある地域では井戸水の汚染が酷いと聞きます。

ヨーロッパで環境問題が語られるとき、継続可能な経済活動を「先進国」として範を示す思いもあったかと思います。いわばポスト冷戦の将来像があるのです。しかしアメリカの主張は世の中には善と悪があり、アメリカは常に善で在り続けると世界にアピールしています。この温度差はなんなのでしょう。

実際には今のアメリカも大統領選でみた通り世論は2分されており、本来の将来像を描き切れてないように思います。前政権がコンピュータ関係の新興企業に優遇処置をしたのとは打って変わって、今は石油や自動車といった旧態の企業を保護する政治判断をしています。これはアメリカの国民生活は政治的に保護するが、アメリカの企業は自由経済のルールに従って海外を支配する、というダブル・スタンダードを標榜するものです。あるいはアメリカ国内がプランテーション化する(ミイラ取りがミイラになる)ことへの反発かもしれませんが、問題を先送りし時間稼ぎをしているようにしか感じられません。

D国の問題はイスラム原理主義化を押し止めるための懐柔策だと思いますが、自律のための援助という基本姿勢がないと、突然に必要とされなくなった(援助が打ち切られる)ときのことが心配です。その方策を捜して報告するだけでも十分な任務ではないでしょうか。
 

質問

 投稿者:団栗七衛門@アフリカ  投稿日:2003年 5月 4日(日)00時11分9秒
  quwaさま いつもながら考え深い文章にうならされております。今回の視点は特に興味深く、小生が現在於かれている情況を認識し、打開する為の重要なキーワードなのかもしれないと考えております。しかし今ひとつ言葉が難解で掴みきれずにおります。もしお手数でありませんでしたら、ご教授をお願いしたいのでありますが如何なものでありましょう。
>いわばグローバル経済の圧倒的な物流のなかで自我(イコノロジー)は崩壊
>同時に自然環境(エコロジー)の砂漠化
の具体的な例などをあげて説明を頂けると嬉しいのですありますが・・・。
 
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自我と自然の調和

 投稿者:quwa  投稿日:2003年 5月 3日(土)06時41分45秒
  20世紀末に近代的な自我のドラマを描く手法が一種の崩壊をまねき、ポストモダンの時代に入って大分時間が過ぎたように思います。いわばグローバル経済の圧倒的な物流のなかで自我(イコノロジー)は崩壊し、同時に自然環境(エコロジー)の砂漠化をもたらしている点にも注目しています。私たちはイコノロジーという小空間(ミクロ)を失ってなおエコロジーという宇宙観(コスモ)のなかに生きる方法を見出さなければならないようです。このイコノロジカルな空間を抜け出して無名性に身を置き生き続けることが旅の本質であるように思うのです。そのなかで自我はエコロジカルに解放されなければならない。

イラク戦争にみたアメリカの態度は、アラブ社会に従順を強いる一方でアメリカのみが意志を決定する、いわばアメリカの国家像がアラブのエスニック集団に無名性を押し付ける情況が見うけられました。これは自我を活かす受け皿として自我をもたない資源をより良く用いるという近代的な思想が、実は社会集団にも及ぶこともあるという例を示したように思います。この手の自我崩壊を担保する空手形は日本の軍事ファシズムがアジア進出をする際にもみられた兆候なので、あるいはアメリカのエスタブリッシュが国家の虚像化を食い止めるのに必死なのかもしれません。

蛇足ながら「2001年宇宙の旅」で描かれた21世紀像が、人間の道具であるコンピューターの自我の目覚めということをハプニングとしていることは皮肉といえば皮肉です。これも旅をテーマにした映画といえばそうですね。
 
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