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買ってみました。

 投稿者:ろりぽっぷ  投稿日:2004年 8月13日(金)23時42分40秒
  「改革者の祈り」買ってきました。さすがにキリスト教書店に盆休みはないようで。笑。
通して読む、というよりは、手元に置いておいて、その折々にテーマに合った箇所を開いて読んだり、自分の祈りとして祈ったりしたい本だな、と思いました。

 「ウェストミンスター神学者会議 議事録(抄)」の方は、恐らく大学の図書館にあると思います。今、図書館が休みなので、休み明けに借りに行きたいと思います。
 


大変な役目ですね

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 8月12日(木)11時43分11秒
  書記というのは教会の歴史に責任をもつということですが、それを点検する会議と憲法がないとなかなか巧くいきません。単純には人々の言い争いを裁くものが存在しないのです。しかし日基の歴史をみると明治時代には小会記録を十分に作れず、中会でお互いの教状報告をしていたのが判ります。(http://quwa.hp.infoseek.co.jp/page0438.htm) もちろんこのころは一致教会という合同制をとっていましたから、改革派の基本的な長老による会議制という理念は薄いです。しかしそういう歴史のなかでも十分に記録を残し、次の世代に繋がるものを残していったことは非常に驚くべきことだと思います。不足なことの多い時期にあっても、教会の歩みは続いていくものですから不思議なものです。中会記録は後で読み返すと結構面白いものです。

より教会会議のことを知りたいときは「ウェストミンスター神学者会議 議事録(抄)」(松谷好明 一麦出版社)が高価ですが有意義です。歴史に残る神学会議ですが、大会形成の足跡が脈実に判りますし、当時の事態があらゆる方向に軌道修正しなければならない問題事だらけだったことも判ります。そして信仰告白の中心的な主題が現実の牧会での問題を中心に巡っていて、様々な地域へ現実に人を派遣し関係修復に務めている様子も判ります。

神学会議とはいいながら、実際の牧会での出来事を整理し関係を収めることを抜きにしては考えられないということです。裁き主である神は憐れみの主であるということが、牧会という現実のなかで進行しているとも言えます。現在、長老連絡会との関係が崩れてしまっているとのことですが、会議制というものに興味が湧けば、それも合議のうえで少しづつ持ち直してみてはいかがでしょうか。
 

結構やばいかも・・・。

 投稿者:ろりぽっぷ  投稿日:2004年 8月12日(木)10時46分38秒
  自分で書き込んでおいて、自分の教会が、改革派教会として教会形成を考えたときに、かなり瀬戸際の状況にあるなぁ、と改めて思いました。(^_^;)

わたしの教会は、戦前、旧日基に所属していて、戦中に日本基督教団に所属し現在に至っている教会です。だから歴史はわりとあって、歴史的には改革派の教会であることは裏付けられるます。

とはいえ、何せ、現在が無牧で、その上改革派の教理やしきたりについて関心を持つ者がわたし一人というのは、結構、改革派教会としてのアイデンティティを保っていく上では、かなりぎりぎりの状況だと、ここに書き込んで改めて自覚しましたわ。ほんま。

 おまけに、所属する教団が日本基督教団という合同教会というのもありますし、困ったことに、日本基督教団には改革・長老派教会系の教会の団体があって、そこが中会の役割を果たしているのですが、その団体も、昔トラブって脱退してしまっているのですわ。

(この際、中会なくして改革派教会と言えるのか?という、尤もなつっこみは勘弁してください。笑)

 ほんま、改革派教会としての教会形成を考えたときに、自分の教会って瀬戸際にあると思いますわ。これは、今度、牧師を招聘するときに、改革派のことがよく分かっている人を招聘しないと目も当てられないなぁ、とつくづく思いました。

 しかし、わたしにもこのように、教会形成において役割が与えられているということに、主に感謝せないかんなぁと思います。
 

ありがとうございます。

 投稿者:ろりぽっぷ  投稿日:2004年 8月12日(木)09時56分56秒
  ありがとうございます。また、その本読んでみたいと思います。
ちなみに、わたしは教会では書記をしております。礼拝司会は順番で回ってきます。

そうですねぇ。あと、これは決まった役割ではないのですが、改革派の教理とかしきたりを教会に進言する、というのがあります。笑。

 どうも、わたしの教会、そういうの言う人わたしぐらいしかいないのですわ。教会が無牧なこともあって、(もちろん代務者の先生はいますが)わたしがそういうこと言っていかないと、だれもこの教会が改革派の教会であることを、自覚しなくなってしまいそうなので、ある意味責任があるのかなと思っております。

 わたしは、ネットで改革派の教団の規定を見るのが好きなのですが、ある改革派の教団の規定に、長老は牧師と共に教理の擁護の務めを負う、という文言がありました。そう思うと、このわたしの役割(?)も長老の任務の一つかと思っております。

(この辺は、わたしの教会が改革派の教団ではなく、合同教会である日本基督教団に所属していることで生じる特有の問題ですね。)

 うーん。わたしはそもそもクリスチャン独特の言い回しが身に付いていなくて、
このようにquwaさんのレスとわたしの書き込みを並べた時に、それが一目瞭然になって結構かっこわるいなぁ、と思います。^^;
 信仰経験の浅さがもろに文章に出ているな、と思いました。あ〜あ。
 
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牧会はほぼ適当に

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 8月12日(木)00時43分38秒
  長老の場合、牧師と共に教会の運営に責任をもつのですが、おもに2つの柱があります。
1)小会(長老会)の運営: 教勢、献金−会計、各種団体の活動等、各種の記録&報告をする
2)牧会の責任: 礼拝、祈り、慰問の様々な牧会の奉仕にあたる

単純には、主の御体の教会が生きるための世話をし、個人としても主の枝のひとつとして生きることです。私の場合は日曜学校(校長)と礼拝(司会&讃美歌指導)、教育(修養会等の企画)をしていますが、何よりも週の礼拝に出ることが一番の出来事です。たまに礼拝に来る人の名前とプレビューを憶えるというのも、ひとつの訓練になります。

祈りに関しては「改革者の祈り」(マンシュレック編、新教新書)がとても有益です。神学書で要約された事柄が具体的に展開され祈られ、そこから教会の行動が起こされていたことがよく判ります。あらかじめよく準備された自由祈祷の伝統に触れ、理解するだけでも大きな違いがあります。
 

レスありがとうございます。

 投稿者:ろりぽっぷ  投稿日:2004年 8月11日(水)23時23分30秒
  レスありがとうございます。
わたしは、一昨年のイースターに洗礼を受けた者で、
長老の規定がわたしの教会の場合、受洗後、転会後一年以上となっているので、
ぎりぎり規定を満たしていたらしく教会総会で選ばれ、去年の4月から長老をしております。
 だから、長老の割にはめちゃくちゃ信仰経験が浅くて、信仰的に分からないことだらけです。

 よく言われることに、教会運営に関してはよく祈って主のみ心を求めて、というのがありますが、どうも信仰経験が浅いせいか、教会運営と祈りの連関がよく分からないし、具体的にどうすればいいのか今一つ分からないのです。

 あと、教会運営とわたし個人の信仰のバランスをとることにも、難しさを感じます。教会運営に気を取られすぎて、どうもわたし個人の信仰を顧みることがなくなってしまい、
祈れなくなってしまったり、ということがしょっちゅうです。

 ほんま、難しいと思いますわ。

 でも、改革派教会の長老って、教会役員だから任期はあるけれど、
牧師と同じで、ある意味終身職と考えられているから、
(これを最初聞いたときは、ほんま引いてしまって、「先にそれを言えよ!」と思いましたが・・・。)
今となっては、もう、逃げられないんだなぁ。(*_*)

これからもよろしくお願いします。
 

どうも管理人です

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 8月11日(水)18時33分17秒
  ロリポップさん。どうもはじめまして。
長老とは遠きにありて思うもの。。。というのは差し置いて、成ってみると「ほんとにいいのか?」という疑問符だらけです。単純には残された者で宣教の灯を消さないように頑張るしかないのですが、本当に主は忍耐強く憐れみ深い神だということを日々感じております。

現在の働き盛りの人は、残業と休日出勤でノルマだらけ。蓋を開けてみると教会生活の訓練ができない。単純に教会行事の準備に時間を割くことができないし、手慣れない奉仕を手際良くできないので奉仕がしんどい。そういう情況でいつでも準備された教会の情況を保つのは実に大変です。

しかし教会に残され、神が選ぶ人は何か欠けを追っている者、心の砕けた者であることを思うと本当に慰められます。それが隣人となられたキリストの姿(教会の兄弟姉妹)であると思って。。。実にさっぱりと、働き盛りという価値観に執着することを諦めました。
 
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初めまして。

 投稿者:ろりぽっぷ  投稿日:2004年 8月 9日(月)09時09分57秒
  初めまして。わたしは、日本基督教団の中の改革派教会で長老をしているものです。
なかなか、わたしと同じ年代で長老をしている人って、お見かけしないもので、
うれしくなってあしあとを残しました。
 それにしても、どうもネットで改革派ってマイノリティなので、わたしはいつもBBSでブーたれることが多いのですが、そんなことないのでしょうか?
 

難しい問題です

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 5月 3日(月)01時10分17秒
  戦争によって死んだ人々とそれを指導した軍政の間にどれほどの距離があったのか。戦争そのものが人間の利害を元にした闘いである限り、ある程度の犠牲は構わないという考え方もあります。しかし聖書はそうした小さな者の犠牲で積み重ねられた歴史に対する責任をいつも問い掛けます。慈しみを施せという戒めは旧約聖書のもうひとつのキーワードとも言えます。歴史の反省から慈しみが生み出されるならば、それが平和ということではないか。そういう感想を持っています。  
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日本の懺悔

 投稿者:団栗七衛門@アフリカ  投稿日:2004年 5月 2日(日)22時23分8秒
  「韓国の十字架・日本の赦し」を拝読、毎度のことながら、うならされております。昔、韓国に行った時、教会の多さに驚き、その土地での日本人であることの意味についていろいろ、考えさせられたことを思い出しました。日本の「懺悔」は消化不良のまま、混沌に埋没し、近頃、為政者たちは、きな臭い茨の道へと吸い寄せられている気がしてなりません。
先のイラクにおける日本人人質事件もまた、遠くアフリカの地にいながら考えさせられることの多い事件でありました。
 

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