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白くりえ

 投稿者:団栗七衛門@茨城  投稿日:2004年10月 4日(月)04時59分32秒
  quwa さま ご無沙汰しております。
アフリカの過酷な環境+乱暴な扱いに耐え続けてくれ
たくましく活躍してくれたパームm105を卒業して、
クリエPEG-N700Cを中古購入いたしました。
あらためてquwa様のサイトの黒クリエのコンテンツを参考に
させていただきます。
 


教会教育について

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 9月26日(日)19時02分16秒
  教会教育には幾つかの伝統があります。最も古いのは家庭教育で、イスラエルにおける過ぎ越しの祭の食事の状景が描かれてます。つまり親から子へ、神の契約の意義を常に意識させることが必要です。改革派の伝統にも契約神学という流れがありますが、人間の自由意志の堕落と神の救いの歴史の尊重という図式が引かれます。小児洗礼のなかにもその実践がみられます。もうひとつは礼拝での説教で、聖書を連続して講解する方法をとってきました。これによって聖書を恣意的に引用せず、隔たり無く読むという作業を共有することになります。次にカテキズム教育で、これは洗礼もしくは信仰告白の準備に用いられます。しかし唯そのときだけに留まらず、聖書を読む通観的な把握の助け手として、カテキズムは教会生活の支柱ともなってきました。日本キリスト教会では使徒信条を拡充した簡易信条を持っていて、サクラメントを行う礼拝で読み合わせて共に告白します。あと詩篇歌の通唱が礼拝から家庭においても営まれていたと云われますが、19世紀頃にこの伝統は一度寸断されました。

この他に教会では、毎週の日曜学校礼拝と祈祷会、月1度の各種団体(青年、婦人、壮年)の交わり、年に1度の各個教会での修養会、中会での修養会(長老・執事、日曜学校教師、婦人会、青年会など)があります。

こうしてみると、契約の実践、聖書の講解、カテキズム教育、詩篇歌の通唱、という営みが支柱にあって、その他に信徒同士の交わりや修養会が加わることになります。聖書講解ひとつにしてもネットでは話題に載せにくいもののような気がします。
 

え?!そうなんですか!

 投稿者:ろりぽっぷ  投稿日:2004年 9月25日(土)23時36分48秒
  え?!あの、超専門的な本が、教会の図書室にあるのですか!驚きです!
(ちなみに、その本を見た大学は神学部があって、しかも大学院まであるのですが、それでも、誰も借りた形跡がありませんでした。笑。)
 わたしの教会の本棚、どうも貧弱で、ウエストミンスター信仰告白もないのですわぁ〜。(泣。かろうじて、ハイデルベルグ信仰問答はありましたが。笑。この間、もっと信徒の改革派教理に対する理解を深めるため、教会図書を少々入れることにしました。

わたしも、ひょっとして、改革派がネットでマイナーな原因の一つとして、各個教会とか中会で教会教育がきちんとなされていて、疑問点や質問等を教会内部で、考えたりできる体制が整っているからかなぁ、という気もするのです。
 しかし、どうも、わたしの教会が、日本基督教団の中にある改革派教会の団体で、中会の役目を果たしている、連合長老会から脱退してしまっていることもあって、中会のイメージがどうも今一つ具体的に把握できないのですねぇ・・・。
(日本基督教団の教区総会なら、出席したことあるのですが。)

もしよろしければ、各個教会や、中会等で、改革派教団の一例として、どのような教会教育がなされているのか、ご紹介頂けると幸いです。
 

お元気で何よりです

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 9月25日(土)22時27分59秒
  「ウェストミンスター神学会議抄」は教会の図書室にあったので。。。牧師先生の趣味で置いてあったのだとも思っています。(著者も同じ中会の牧師)確かに研究者向けに出来ていますが(英国でもこの手の本はないそうです)、実際の会議運営のノウハウがしっかり残っているのも大きな特徴です。つまり改革派教会が聖書による原理原則を尊重するのと同じように、教会を育成するという姿勢が改めて浮き彫りになっていることです。その意味ではウェストミンスター信仰告白が正統主義を頑なに保ったという以上に、それを生み出す教会は牧会的な諸問題と戦っていた(多くの信仰告白や問答書がそうであるように)というべきです。この信仰告白の舞台裏を知って教会教育と会議運営に活かさない手はないように思います。改革派教会の会議制は神学上では大きく取り上げられませんが、牧師の任職権を地域の中会(牧師と長老からなる)に持たせるなど、監督制や会衆制の中庸を行く方法が採られています。もうひとつは国教会の制度をとりながら、教会政治を国政から独立させた権限を持たせていることで、この点についても興味深いものがあります。改革派の信徒たちがインターネットの場に出てこないのは教会教育というものが歴然とあって、特にそれ以上の議論をする必要性が少ないからかもしれません。あるいはその逆(中身の空洞化)ということも考えられるのですが、この辺の実のほうは実際の教会生活のなかで問うべきことだと思います。  
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すみません。

 投稿者:ろりぽっぷ  投稿日:2004年 9月25日(土)19時48分34秒
  敬語が変ですね。「ご覧になったのでしょうか。」です。申し訳ありません。_(_^_)_  

そうですかぁ。

 投稿者:ろりぽっぷ  投稿日:2004年 9月25日(土)19時11分26秒
  お久しぶりです。そうですかぁ。

わたしのように、教会の実践的なことを語りにくるのもいますしねぇ。笑。
いや。なかなか、改革派って、リアルのプロテスタント教会では、一大勢力だと思うのですが、どうも、何故かネットではマイナーなんですねぇ。

 わたしは、いろいろなキリスト教サイトに出没して、いろいろ改革派教会のことを書き込んだりしているのですが、ネット上にわたしの他にも、長老さんがいらっしゃるということに、とても勇気づけられております。

 これからもよろしくお願いします。

ところで、先日の「ウェストミンスター神学者会議 議事録(抄)」を、大学の図書館で見てみたのですが、かなり高価な大きな本で、あまり専門家以外は見ない本だと思ったのですが・・・。
 ちなみにquwaさんは、もし、差し支えなければ、この本をどこで拝見なさったのでしょうか?
 
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近頃、訪問してくださった方々へ

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 9月11日(土)10時57分3秒
  ここ2〜3ヶ月のところ20アクセス/日ある(私のサイトでは多いほうです)のを不思議に思って、1週間ほどアクセス解析をしてみました。一番多いのがキリスト教そのものに興味をもって居らした方で、中には「キリスト教入門」ということで来ていただいた方もいるようです。これだけでも七割近く登るわけで、「キリスト教」一般の話では無くて本当に心苦しいあまりです。

改めて言うと、このサイトの位置づけは、実践神学というオマケに近い分野にあるもので、もとは唄楽庵という自作讃美歌の紹介サイトとして立った経緯があります。ただこの手のエスニックなキリスト教サイトとしては珍しく、100ページ以上も駄文を積み重ねている情況もあり、少し風変わりなスタンスになりつつあります。自分としても変わった視点と思うものも多くありますので、難文、怪文と思って御了承いただければと切に思います。
 
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まだまだ蒸し暑いですね

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 8月26日(木)01時40分22秒
  夕刻を過ぎると涼しくなってくるものの、残暑もまだまだ粘るようですね。
唄楽庵を楽しんでいただけて嬉しい限りです。作品の更新が滞っているのが心苦しいです。

秦氏にはユダヤ民族系とキリスト教系(景教)のジャンルがありますが、個人的には日猶同祖論にはたずさわらないようにしています。というのも、過去完了で歴史的に運命付けられていることと思うよりは、未来完了で描く方が希望がもてるからです。

奈良時代から平安時代の荘園跡の発掘調査などをみると、荘園主は木造床敷きの家に住み、その周囲を縦穴式住居の住込み労働者が集落をつくるという形式だったようです。素焼きの茶碗は荘園主名義で貸出、初期には木偶を使った宗教が残っていて、後に荘園主の宗教(風水か仏教)に代っていったようです。いわばこれらの文化的移行の総体を体系付けたのが現在の神道のような気がします。

ただ大和政権の中枢にある正倉院にオリエント趣味の宝物があることから、主要な神社にそういう影響があることは否定できないように思います。明治以来の国家神道は和魂洋才の色合いが濃いですが、むしろオリエントに開かれた宗教と考えると、そっちのほうがロマンを掻き立てられますね。
 

おあつうございます。

 投稿者:  投稿日:2004年 8月25日(水)18時43分40秒
   唄楽庵、いつも楽しく聴かせていただいてます。
 最近、秦氏についての著書にはまっています。
 まゆつばものだと言う方も結構いるけど、面白いんだもの。
 下駄がぼろぼろだったので、新調したから、次の聖日には
 着物でいこうかな。奉仕はお台所だったし!

 
 

祈祷書の面白さ

 投稿者:quwa  投稿日:2004年 8月14日(土)21時53分7秒
  「改革者の祈り」は多分、説教に付随してたものか、または祈祷書からの抜粋のように思います。つまり改革者個人の瞑想のためだけではなく、公の礼拝で祈られたものという性格の強いものです。そのためか、福音主義の枠のなかでそれぞれの神学的立場を色濃く反映しており、それが自由祈祷の彩りを与えています。

傾向としては、聖書の言葉やレトリックで祈りを綴ること、そして神の恩恵の行為を中心に祈りもとめ、それに相応しく応答する人間の姿は慎ましく添えられます。この福音主義によって明らかになった神の恩寵の絶対性が、改革者のうちでかなり初期の段階で意識され、見事に一致している点には驚くべきものがあります。つまり中世に流行した、聖書のレトリックで貴人の富や名誉を讃美する傾向とは一線を画しています。その意味で福音主義は当時のキリスト教封建社会を逸脱する存在と見なされていたとも解釈できます。

そうした教会史での一面を結果のプレビューではなく、祈りという実践面で見渡せる点がユニークだと思います。それぞれのリソースがはっきりすると、当時の祈りの場の概念が明瞭になり、より完璧な本になったように思います。
 

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