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感想

 投稿者:タコ太夫  投稿日:2006年 2月 6日(月)19時41分44秒
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  はじめまして.以前から興味をもって拝見させていただいております.何点か感想と気になったことをごく簡単に.

1.和風???
   まずはじめに,「和風」というコトバのとらえ方に若干の疑問を感じます.日本の伝統に固執するあまり,現代日本人の生活感覚からはかえって浮いてしまい,何やらマニアックな印象を抱いてしまうのですが... 音楽にしても,あまりにも純邦楽すぎるように感じます.純邦楽を用いることには問題はないように思いますが,ただもう少し,現代風の,多少なりともポップなアレンジもほどこした方が,むしろ現代日本人には親しみ易いように感じました.

2.祖先崇敬・崇拝
   日本宗教史上の「祖先崇拝」に関しては,様々な説があり,複雑な議論のなされているやっかいな問題のようです.いつ頃からそうしたものがあったのか,ということになると,おそらく...ですが,古代からあったということになっているようで,中世には仏壇に位牌を置いたり,寺で葬式を行ったりしていたようです.また,一口に祖先といっても,その具体的な意味内容は,必ずしも一枚岩ではないようです.ごく簡単な例をあげると,神話上の遠い祖先と,比較的最近に亡くなり,顔も名前も記憶されている故人とでは,だいぶん様相が異なります.前者はあるいは一部の限られた家柄に限定されるように思われる方もいるかもしれませんが,実はそうではありません.今日でも多くの家に系図が伝えられ,神話的祖先祭祀は保存されています.
   しかしながら,そうしたことは問題の本質ではないように思います.むしろ,現代日本人の祖先観と,キリスト教の祖先観との間にどの程度まで公約数があり,教会が具体的にどのようなサービスを提供しうるのかが問題ではないか,と思います.現代日本において祖先崇拝がどの程度生きているか,については厄介なことに,家々ごとに,また個人ごとに異なります.しかしながら,たとえ半ば形骸化しても,祖先崇拝は盛んに行われています.祖先崇拝を全面的に廃止することに関しては,未だに多くの日本人が躊躇しているようで,むしろそのために,仏教や神道の形式が利用されているかのごとき印象も受けます.現代日本の祖先観を理解するためには,宗教の枠をいったん離れなければならないように思います.例えば,比較的最近にできた新興宗教や,あるいは,精神世界や,はたまた通俗オカルト云々までが,お約束のようにご先祖様を持ち出します.こうした現象の背景には,意識の表面的な部分での宗教観の相違を超えた,ある程度共通した祖先崇拝への内面的需要が根づよく残っているように感じられます.
   こうした現象に対してキリスト教会の側からどういったアプローチが可能でしょうか? 最近のキリスト教会では,カトリック・プロテスタントを問わず,祖先崇敬をもっと尊重しようという動きが見られます.カトリックの家庭祭壇には,ずいぶん昔から「位牌」が置かれています.あるいは,キリスト教の葬儀に「焼香」を導入することは,カトリック・プロテスタントを問わず,しばしば見られます.そうした例はともあれ,少なくとも,「祖先を敬うこと自体は,何らキリスト教と矛盾しないばかりか,むしろ,キリスト教でも必要なことだ」と考えるのが最近の動向なのではないでしょうか? よくひきあいにだされる「汝の父母を敬え」ですが,この場合の「父母」とは,生前の父母に限定されないのみならず,「生命の継承という重要な問題を考えれば,祖先にまで拡大解釈されるべきだ・・・云々」といった意見もよく耳にします.もしそうであれば,そのような祖先崇敬は,具体的にいかなる形式で表現されるべきか? この場合,日本の伝統的なスタイルをどの程度まで取り入れることが可能か? 等々といった問題がでてきます.
   ...ともあれ,祖先崇敬の問題は,今日キリスト教でも盛んに論じられているホットな問題なので,今ここであれこれ論じることには限界がありますし,僕にもそうした能力はありません.あくまで個人的感想を思いつくまま書き連ねるにとどめておきます.

3.解放空間VS敷居の高さ
   和風のキリスト教を考えるとき最も重要な問題ではないか,と僕が思ってるのがこのことです.どういうことか,といえば,神社・仏閣であれば,ほとんどの日本人が,信仰の有無を問わず,ごく気軽に立ち寄れます.なぜかといえば,空間が文字通り開放されているからです.無論,全ての設備が解放されているわけではありません.しかしながら,キリスト教の教会のほとんどが,普段は扉を閉めていて,しかも扉の外にはこれといった施設のないことを考えれば,大違いだと思います.教会の扉の外には何があるでしょうか? せいぜい,案内板・駐車場・花壇・付属幼稚園の遊技場・・・といった程度ではないでしょうか? 僕は教会の前を通るたびに,閉めきった扉を見るたびに,「入りづらいな〜〜〜」って感じます.ほとんどの教会がまず,そうです.多くの日本人にとって,教会の敷居は非常に高く感じられています.
   他方で僕は,山歩きとか旅行などの際には,気軽に神社・仏閣のお世話になります.別に,お参りをするわけではありません.飲み水の補充・トイレ・休憩です.無論,文句を言われたことなんて,ただの一度もありません.休憩がてら,神社のいわれなんかを読んで回ったりもします.よくパンフレットなんかもおいてありますが,歴史好きの人間には面白そうなことを書いてあったりします.そういうのは,頂いていきます.パンフレットだけではなく,社務所で売ってる「商品」にも若干,興味があります.売れ筋商品は,お守りでしょうか? よく,お守りを買うためだけに気軽にちょっと神社に行く人もいますね.
   無論まさか,教会でお守りを売るわけにはいきません.ですが,「ちょいとおしゃれな」十字架のアクセサリー,ネックレスとかキーホルダーくらいなら,別にいいんじゃないか,って気もします.あるいは,聖句を印刷した,「ちょいとおしゃれな」グリーティング・カードとか.それから,冠婚葬祭に教会を利用したい人のための,利用案内のパンフレット.無論,もっとマジメな,キリスト教案内のパンフレットも置いておくべきでしょう.
   無論,教会の敷地内でこうした「商売」をすることに抵抗を感じる方は少なくないでしょう.それに,もし仮に実行したところで,設備投資の割には,利益はほとんど出ないでしょう.ですが,もちろん商売自体が目的ではありません.こうしたことも,少しでも多くの人に・より気軽に教会に足を運んでいただくための方策としては,別にかまわないのではないか? って思います.もし万が一,利益が出るようなことがあれば,そのときは,その有効な利用法を考えればよいだけのことです.
   さらには屋外に,神社の拝殿を真似て,教会の信者意外の方でも誰でも気軽に礼拝のできる,屋外礼拝施設のようなものを設けることは,はたしていけないことでしょうか? そこにお賽銭箱(献金箱)を置くことは,それほどいけないことなのでしょうか? さらにこうした屋外の礼拝施設に,いわば「初詣気分」で,クリスマスなり,お正月なりに,気軽に足を運んでもらうことは,はたしてそれほど忌避されるべきことなのでしょうか?
   無論,このようなことは,スペースや予算の関係からきわめて困難な夢物語に思われるかもしれません.また,もし仮に実現できたところで,本当の意味での信者が増えるとは,なかなか考えがたいように思われるのではないかとも思います.しかしながら,充分条件と必要条件とは異なります.このような試みは,日本社会にキリスト教が根付くためには決して充分とはいえないでしょう.しかしそれでも,必要な試みではないか,と思います.まずは,教会の敷居を低くして,誰でも・いつでも気軽に遊びに来られるような環境を整えることが,何よりも第一に必要なように思います.
 

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