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ハロウィンって

 投稿者:quwa  投稿日:2012年 8月18日(土)23時34分49秒
  教師もどき さんへ

貼り付け記事に応えるのも何ですが、ハロウィンを象徴するものは、かぼちゃのお化け「ジャック・オー・ランタン」でしょうか。しかも諸聖人の日に悪霊が戯れるという言い伝えのなかで、かぼちゃは魔除けとして使われたといいます。諸聖人の日は収穫祭とも重なっていますので、貧者以外にも彷徨う霊におっそ分けをしない人には悪戯をするというのですから、日本の盆に飾る施餓鬼(餓鬼道に落ちた祖先に供物を与える習慣)とも似ています。こうした問題は、プロテスタント教会であれば、本来否定されるものなのですが、「諸聖人の日」という習慣のないなかで、ケルト的な色合いの強いハロウィンが、謝肉祭に変わるものとして残ったのでしょう。特にハロウィンが資本主義の取り決めが厳しい地域で習慣となっている点は見逃せません。つまり私有財産の権利を、ある程度放棄するための理由付けが必要なのです。

一方で、この言い伝えに基づく「憑依」という表現は、かつての魔女裁判を想起させるもので、欧米社会の暗部を象徴するものです。特に17~18世紀の記述には要注意です。これで何人の言われのない罪により処刑されたことか、先のインディオへの仕打ちと同じことが行われていたと言えます。

ただ悪霊が存在しないということはありません。一見平和な日本でさえ、今も猟奇的な事件は後を絶ちません。しかし、それが人間の弱さに基づいている、と考えるのが、主イエスの十字架の深い意味です。主イエスご自身が、呪いの木の上で死なれ、人の罪の償いをされました。主イエスこそが、本質的に罪人である人間の魂を十字架において受け入れ、ご自身を死の苦しみに委ねられたのです。この愛の前に、人間が罪の代償として払うべき、全ての労苦や償いから赦されるのです。

当然のことながら、ハロウィンが本来目指した、貧者への分け前と共に祝うことは、いつの時代にも必要なことです。いっそのこと、生活保護者を対象とした無料パーティーでも企画するくらいの度量が欲しいものです。
 
 

感受性の強い子供の心について

 投稿者:教師もどき  投稿日:2012年 7月12日(木)01時49分32秒
   題 : 感受性の強い子供の心を、
       結果的に、
         弄(もてあそ)ぶような事が起きています

 今、キリスト教のお祭り「ハロウィン」が、
 日本で、無邪気に行われておりますが、
 そして、
 この魔女が関連するこのお祭りに、
 小さい子供が参加していますが、
 また、
 小学校では「国際感覚を身につけよう」という美名のもとに、
 公的小学校も含めて「ハロウィン」が行なわれ、
 キリスト教系の学生が、
 喜々として駆けつけ、
 一緒になってやっていますが、
 これは美名の下の「キリスト教の巧妙なる伝道行為」です。
 アメリカでも問題となり、
 裁判事例の多い「巧妙なる伝道」です。

 そして、
 この魔女が関連しているこの事例で、子供たちに何が起きたか?、
影響したか?という事例です。

 キリスト教には「 神を恐れよ 」という教義があります。

 魔女事件の場合、
 キリスト教はこの教義によって権威を得ようとしました。
 また、
 教勢を拡大したいとしました。
 その為に、
 「魔女を生かしておいてはならない」の教義があるキリスト教は
「死も辞さない」という姿勢でした。
 「死も辞さない」と言っても自分ではなく、
 相手を死に至らしめる行為でもって権威を得ようという行為です。
 この結果、
 キリスト教は、周りに死の影や戦争が満ち、まとわり付いた歴史
となりました。
 魔女事件の場合、
 年端(としは)の行かない3歳・5歳・7歳・12歳の子供達が憑依
(ひょうい)しました。
 悲しい事です。
 これは、広がりやすい性質を持っていました。
 17世紀、キリスト教司教領で、
 子供だけでなく、
 地域全体が憑依するという事件となって起きました。
 魔女だと言われた女性が、
 自(みずか)らキリスト教聖職者の居る魔女委員会に申し出て、
 「多くの人々の体内に悪霊を祈り込んだ」
 と言いました。
 すると、
 町に憑依した、憑(つ)かれた主婦や子供達、
 大勢の群れが、
 この司祭領や隣接する地域にさ迷い出て来ました。
 憑依した人たちは未成年者が多い状況でした。
 町は混乱しました。
 飛び火しやすいこの現象は、飛び火して行きました。

 スウェーデンの場合は、プロテスタントの村でした。
 憑依した子供たちが現われました。
 子供達は、意外と大人が何をやっているかを知っていました。
 大人たちの言動から魔女とはどういうものかを見聞きし、
 よく知っていました。
 日頃から、キリスト教聖職者は魔女の定型を話をしていました。
 怖い事に感受性の強い子供達は、特に、憑依しやすい状況で、
 親たちは自分たちで救う事を断念するくらいでした。
 親たちは、
 当局へ原因の魔女の撲滅をする様にと押しかけるという騒ぎ。
 国王の調査委員会が取り調べるという事になり、
 騒ぎはますます拡大して行きました。
 また、
 多くの他の村々へ伝染して行きました。
 憑依した魔児は、
 無数の大人たちを告発しました。
 「魔女の踊りをしていた」「悪魔のシナゴーグへ行ったりしてい
る」、
 それを見たと。
 ある村は、
 70人の女性と15人の子供が火炙りとなりました。
 これは、
 国境も越えて広がって行きました。

 ドイツで起きた事例では、
 ほとんどが10歳以下の子供でした。
 子供達は、
 キリスト教の教義と魔女を自己流に織りなして語りました。
 想像力の強い子供達は、
 「魔女のサバト」「天国の幻視」「最後の審判と地獄の使者」を
語り、告げるという状態でした。
 驚くことに「デーモン(悪魔)との性交渉」の詳細な証言に裁判
官(キリスト教裁判所の聖職者の裁判官)もびっくりしている状況
でした。
 「ハッピー・ハロウィン」と仕掛け人は、洗脳いたしますが、決
して「ハッピー」ではありません。これは洗脳のための言葉です。
 (参考)とし‐は【年端/年歯】 年齢のほど。年齢。としのは。
「―のいかない子」
 (参考)ひょう‐い【憑依】 [名](スル) 霊などがのりうつるこ
と。「悪霊が―する」 」

参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
  URL: http://32983602.at.webry.info/
 

インディオさんへ

 投稿者:quwa  投稿日:2012年 5月26日(土)06時43分25秒
  現代の南アメリカの政治的な諸問題は、おおよそ16~17世紀に起きた西欧諸国による侵略から尾を引いているとも言えるかもしれません。当時のスペインは強力なカトリック擁護策を取っており、多くの宗教裁判所の設立によって、インディオに限らず、国内のユダヤ人など、非カトリック的な文化に対する迫害が合法的に行える状況にありました。一方で、同時期のメディチ家、フッガー家などの没落も、並行して起きており、南北アメリカ大陸での植民地経営は西欧国家の存亡に掛かっていたとも言えます。植民地から独立した後も、一般にヨーロッパの前世紀的な遺産(軍事独裁、汚職、貧困)を引き継いで政治運営がなされる傾向が今でもあります。ブラジルでの森林破壊も同じ傾向と言えるでしょう。しかし庶民の暮らしぶりをみると、むしろ緩やかな経済ネットワークが健全であることも確かで、国家がそれを囲い込んで利潤を得ようとすることが問題なのではないかと思われます。

一方で南北アメリカの植民政策は、トマト、トウモロコシ、ジャガイモ、サトウキビ、コーヒーなどの導入によって、西欧の食文化にも大きく影響を与えました。20世紀前半においてもプランテーション農場の拡大のために、多くの日本人が移民したことは良く知られるところです。むしろ日本人移民は侵略以前の経済ネットワークに溶け込んでいった例といえるでしょう。ペルーでフジモリ大統領が就任したのは画期的ではありましたが、日本人移民の間では苦労して財を築いてきたのに日本パッシングの引き金になるのでは、というふうにやや異質に捉えられる一面のあったことも確かです。逆に戦前~戦中の日本軍閥による植民地政策は、アジア諸国に受け入れられなかったことも確かです。やはり西欧での労働力搾取型を手本にした結果かもしれません。

大量虐殺が起きる背景には、必ず大義名分を後ろ盾する政治的なプロパガンダがあり、どの宗教においても起こりえると言えます。古代社会ではむしろそれが当たり前だったのですが、歴史は勝者の視点で書かれるのが常で、近代社会において弱者の視点で具体的な記録が残っていることが、むしろ記憶を鮮明にしているとも言えます。国家は「国民」の利益を保護することを目的に形成されますが、一方では「国家全体」の利益を維持するために犠牲も強います。この矛盾を解かない限り、国家の平和はあり得ないといえましょう。
 

インディアスの破壊についての簡潔な報告

 投稿者:インディオ  投稿日:2012年 5月10日(木)03時58分31秒
  本:「インディアスの破壊についての簡潔な報告」は
 キリスト教徒とキリスト教聖職者たちが行なった史
上最悪の愚行(南北アメリカ大陸などの卑劣な殺戮)
を記した書であが
・・・その49頁に・・・
 キリスト教徒等に、300人のインディオを分配され
て、3か月のうちに、
 そのうちの270人が鉱山労働で死んでしまい、
 生き残ったのは30人に過ぎなかった。
 3か月か4か月の間に、約7000人以上の子供が
 餓死した。
 両親が鉱山へ連れ去られてしまったからである。
 また、
 私(キリスト教聖職者)は、
 そのほか数々の身の毛がよだつような出来事を
目撃した。
 (この聖職者は何らインディオを助けようとしなかっ
た悪漢)
 その後、インディオ達を狩り出しに行くことになった。
 結局、
 キューバ島を荒廃させ、全滅させてしまった。
 総督は、無慈悲で無分別で、
 (今さら、インディオたちが死んでしまった後、こんな
ことを言ったって、この聖職者は殺すがままにさせて
いた悪漢)
 彼の行った忌まわしい行為は、それまでのものを
ことごとく凌いでいた。
 (他人に悪さを転嫁するな、誰もいなくなった荒れ地
に教会を建てただろう)。
 金も非常に豊かであった。
 それまでは、地上にそんなにも多くの金があろうとは
思いつかなかった。
 金の在所(ありか)を白状させ、
 数々の新しい虐待や拷問の方法を考え出した。
 (止めろとも言わなかったキリスト教聖職者、今頃、
弁解したって死んでしまったではないか)。
 その聖なる使命をいつもないがしろにしていた。
 (おまえさん、キリスト教聖職者が聖ではないのだ)。
 全世界に行ってすべての人々に福音を述べ伝えよ。
 (福音じゃないよ、殺しに行っただけではないか、総
べてを殺して)
 さもなくば、妻子ともども生命をも失なうことになるで
あろう。
 盗賊と変わらない部下たちを先に派遣し、
 われらは神とローマ教皇、それに、この地の君主
であるカスティーリャの国王についてお前たちに知ら
せにやってきた・・・云々。
 さもなければ、われらが即刻、戦さを仕掛け、お前
たちを殺したり捕えたりすることになると心得よ。
 夜の明けそめる頃、大半が藁造りのインディオ達の
家に火を放った。
 (キリスト教聖職者は止めもしない)、
 殺戮をほしいままにし、彼らに奴隷の焼印を押した。
 火勢が弱まるか、火が消えると、彼らは焼け落ちた
家の中にある金を探しに出かけた。
 官吏たちとて例外ではなかった。
 キリスト教の司教も、その御利益にあずかろうと
側近の者たちを派遣した。
 (ほら見ろ、キリスト教聖職者も欲にまみれた悪漢
だったのだ)。
 数人の無法者の総督が引き続きその地へ赴いた。
 生きのびたインディオ達を暴虐的な奴隷状態へ陥
れ、挙句の果てに殺害した。
 また、彼らは部下たちが同じように振る舞うのを認
めていた。 (キリスト教聖職者も同罪)・馬鹿め。
 (これらの行為はキリスト教の教義から来る行為
です・・・キリスト教はこの様な宗教なのです・・・)
 

サイト移動

 投稿者:quwa  投稿日:2011年 3月21日(月)15時26分12秒
  infoseekのサービス終了にともないURLを変更しました。
「和風キリスト教入門」
http://wahuchrist.web.fc2.com/
今後ともよろしくお願いいたします。
 

お答えいたします

 投稿者:quwa  投稿日:2010年 9月14日(火)05時43分28秒
  1.動物は天国に行くか
 聖書はおもに人間の救済について書いてありますが、動植物の万物の一切は神の御手のなかにあることも前提とされています。最初は人間に万物の支配の助手を願ったのですが、人間だけが知恵の実を食べて堕落し、地は呪われるようになった、というのが失楽園の始まりです。そのとき動物はどうなったのか? ヒントとして、ノアの箱船の際には、雌雄の動物を乗せるように命じているので、神さまは人間のことのみを考えているわけではなさそうです。現実的には、近代化によって絶滅種が異常に増えているという事に照らし合わせれば、人間による自然の管理が一方的になれば、人間は地球の自然を呑み込んでしまう、そういう別な側面もありそうです。最近のキリスト教の教義では、人間による自然の支配を自由意志に委ねるのではなく、環境の保護も使命とされているという考え方が定着しています。

2.聖☆お兄さんについて
 直接読んだことはありませんが、とても日本的な宗教観を反映したマンガだと思います。西洋には中世から「七つの大罪」というテーマがありますが、そういうことは無視して幸福のみ求める現代の視点を「イエス」は代表しているように察しました。ただ、キリスト教の悪に対して、仏教の悪の数が多いのは象徴的で、キリスト教が善悪を単純に2分するのは、人間の罪の問題を扱っているからに他なりません。聖書は人間自身が神に背きやすい存在だということを明白に示しており、罪と決別できない人間への慈しみと救済が、聖書のテーマになっています。ある意味でマンガの「イエス」は、そういう人間の存在を生き抜いたイエスのひとつの側面(宴に好んで参加したり、祭りのときは欠かさずエルサレムに詣でた)ではありますが、十字架にいたり罪に重ね合わされる道筋は描写されていません。聖書のイエスとは別のもので、むしろ西欧社会の歓楽主義を描写しているように思われます。西欧はキリスト教というのも一面的で、教会に行くのはクリスマスと葬式だけ、という人が大多数です。日本人のほうが正月とお盆がある分だけ多いでしょうか。
 

聖書

 投稿者:田中  投稿日:2010年 9月10日(金)18時50分25秒
  セイントお兄さん知ってますか  

聖書

 投稿者:田中  投稿日:2010年 9月10日(金)18時47分25秒
  どうぶつも天国に行くとかあるんですかね?
キリスト教の場合
 

和風聖画、賛美歌

 投稿者:的場千メール  投稿日:2008年 7月11日(金)14時46分46秒
  今月和風聖画、書風聖画、和風賛美歌の個展をしてた者ですが、興味があったのでメールしてみました。  

あえていえば

 投稿者:quwa  投稿日:2008年 2月22日(金)12時44分7秒
  例えば「2/20にバチカンの国務長官がキューバを訪れた」という新聞の記事を読んで、反アメリカ的なグローバリゼーションというものの対立点や、カトリック教会における教会と政治との関わり方について熟慮しないならば、分厚い本を読んでもほとんど無意味です。グローバリゼーションは動向が激しく多分野に及ぶため、この問題と教会がどう向き合うかの答えは一様ではないし、むしろ多極化こそが本来の意図に沿った行動とも思えることがあります。  

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